合氣道 横浜結和会を起ち上げました!

ちょうど1年前、2025年3月10日に『合氣道 横浜結和会』(よこはまゆうわかい)を起ち上げました。
それまで、主に私が稽古を担当しておりました、横浜市旭区二俣川の「禮心館道場」(れいしんかんどうじょう)と、金沢区町屋の「実心館金沢道場」の会員さんとともに、実心館合氣道会から独立し、あらたな合気道会派として起ち上げたのが当会です。
ここに至るまでには、様々な経緯がありましたが、いま一年が経過して、改めてこの会を起ち上げた最初の思いを綴りたいと思います。
横浜結和会1周年
私は、人の上に立つような人間ではありません。
これは謙遜とか、謙虚な気持ちからとか、周囲への配慮、遠慮の気持ちから言うのではなく、あるいは自信がないから言うのでもなく、事実としてそうだと自己分析していることです。
そういうタイプではないのです。
そんな自分が、なぜこの会派を起ち上げたのかと申しますと、実に「やむにやまれず、ここに至った」というのが本心です。
なんとなれば、自分は人の先頭に立ち、人の上に立って生きてきた人間ではなく、上に立つべき人を補佐して働き、生きてきたので、いわゆるリーダーとしての資質や魅力、カリスマ性などというものは、まったく持ち合わせていないということは、自分でも一番よくわかっています。
ただ、「やむにやまれず」とはいえ、もう船は出港しました。自分には資質がない、そんなタイプじゃない…などと言っているヒマはありません。事ここに至っては、もう「やるだけだ」…と思っています。
しかしながら、当初から「自分の信念・信條をもって、修得してきた技術を知らしめたい」…というような思いでこの会派を始めたわけではありません。
ただただ、これまで所属していた会の解散によって、長年、稽古を続けてきた会員の皆さんが、突然、投げ出され、稽古の場を失ってしまうことが、心苦しくてなりませんでした。そこで何とか皆さんと一緒に稽古を継続できる方法と、場の提供ができないものだろうか…というのが、最初の気持ちでした。
そして先人のご遺志が、引き継がれることなく、雲散霧消してしまうことに、やり場のない憤りを覚え、どうあってもそのまま受け容れることはできませんでした。
これまでは月謝も高く、稽古の融通もきかず、旧態依然とした運営方法も長く心に引っかかりがありましたが、なかなか改善されることはありませんでした。そうしたことも、新たに組織を起ち上げれば、いくらか改善できる点があるかも知れないと考えたのです。
このように発会の動機が、自分個人の考え方や技術をもって、一流一派を起ち上げ、世に問いたい…という気持ちから起こしたものではありませんので、この会派を起ち上げるにあたって、その名称を考えるとき、「○○流合氣道」とか「○○派合氣道」「○○派武術」というような流派の名称ではなく、合気道を楽しみ、和気藹々と道友らと稽古ができる場としての『会』をつくりたいと願い、『横浜結和会』といたしました。
禮心館道場50周年
いま、これを記しているのは、横浜結和会の起ち上げから、ちょうど1年を経過したばかりのときですが、先日、2026年3月7日を迎えましたが、この日は私たちにとって、とても感慨深い日でした。
前述した『禮心館(れいしんかん)道場』(神奈川県横浜市旭区二俣川)を開設された、今は亡き松島正義(まつしま・まさよし)先生が、禮心館の前身である『松島教室』をご自宅の庭に、わずか10枚の畳を敷いて青空教室としてスタートしたのが、1976年の3月7日でした。ですから、今年(2026年)のこの日が、ちょうど『禮心館道場50周年』という記念すべき日に当たるということだったのです。

この禮心館道場の歴史は、館長先生ご夫妻のお志から始まり、村山先生に引き継がれ、そしてその時代、その時代を支えた先生方や会員の皆さんの力で引き継がれてきました。
一口に50年といっても、半世紀です。長い長い歴史だと、率直にそう思うのですが、こんな言葉を思い出しました。
もうはまだなり。まだはもうなり。
いま思うのは、まさにこのような思いです。
禮心館は、「もう」50年も経ったんだなぁ…と感慨にふける一方、人生80年とか100年というような時代ですから、「まだ」50年だよ…とも言えます。
横浜結和会も、「もう」1年だよ…とも思えますが、「まだ」1年だからね…とも思えます。
「もう」と言うときには、『過去』を振り返り、多忙を極めて必死だった思い、余計なことを考えずに充実した毎日を過ごしたときに、感覚的に時間な早さを感じて「もう」と表現します。
「まだ」と言うときには、この先の『未来』に思いを馳せて、それまでの来し方(こしかた)に浸っているヒマはなく、もっともっと先を見据えて将来に備える心構え、決意を持つときに使うのが「まだ」という言葉です。
「来し方行く末」という言葉もあります。これまでの『過去』に対する思いと、これからの『未来』に対する思い。どちらも忘れずに大切にしなければならない思いです。


